貫汪館 横浜支部稽古(県立武道館)2/3

県立武道館に到着して、受付で利用料を支払います。
予約の際に、照明の申込がなかったとのことで確認を求められました。
必要ないと答えましたが、なかなか納得してもらえず。
一度、小道場を確認するように指示されました。
たしかに明るくはありませんが、薄暗いというほどでもなく。
日中の窓際ですから、壁一面の窓から自然の明かりが入ります。
やはり必要ありませんと答えると、不思議そうにしながらも了承してもらえました。
1時間130円の照明使用料を節約したわけでも、節電のためというわけでもありません。

 

冬の夕方の体育館で、明かりをつけずに稽古したことがあります。
だんだんと薄暗くなり、最後にはほとんど真っ暗になりました。
一人でしたので、とくに支障もなくそのまま稽古を続けました。
途中、学校の先生がなにかの用事で入ってこられましたが、こちらに気付きませんでした。
入口からは遠いところで稽古していましたし、私は音を立てる稽古は好みません。
それに稽古着は上下とも黒でしたから闇夜のカラスです。
出て行くときに気付いて、驚いていらっしゃいました。失礼なことをしてしまいました。
入ったこられたときに、声をかけるタイミングを逃してしまったのでした。
その後、別の方が来て、普通に明かりをつけられました。とてもまぶしく感じました。
アリーナのコートでスポットライトと観客の視線を浴びながら派手な業を小気味良く演武するというのも気持ちよいものです。
ただ、暗い所では、運剣や斬撃の刃筋がとてもよく見えるのです。
うねったり曲がったりしていると、恥ずかしいくらいにとてもよくわかります。
また耳も鋭くなりますので、あちらこちらの物音にも敏感になります。
誰もいないはずなのに、人の気配を感じたり。
そんな中での稽古は、なかなかにおもしろいものです。

 

小道場は窓からの自然光で十分な明るさです。やや陰り気味なのが涼しさを誘います。
稽古着に着替えて、一人でモップ掛けをします。
きちんと清掃されていますからホコリはほとんど落ちていないのは承知の上ですが、稽古前の儀式のようなものです。

左右の手に一本ずつモップを持って小走りします。
力を入れ過ぎると上手く滑りませんし、力が弱過ぎれば曲がってしまいます。
二刀流の手の内の稽古だとうそぶきます。

稽古で使う場所はごく限られた面積ですが、一応一面全体をモップ掛けします。

さっそく汗をかいてしまいました。もちろん空調はありません。

 

道場の中央に正座して、正面へ礼。
正座したまま、しばらく黙想します。

空手の大会があるようで、関係者が廊下を走って行きます。
照明もつけずに道場の中央で一人で正座しているとおかしく思われるだろうな、などと雑念も湧いてきますが、無視して続けます。

そのうち静かになりました。気付くといつの間にか場内アナウンスが流れています。
大会が始まったのでしょう。
目をつぶっていても、右の窓側の方がやや明るいことがわかります。

道路を行きかう車の音が聞こえます。
左側は小道場の半面と廊下をはさんで、中庭になっています。

鳥のさえずりやセミの鳴き声が聞こえます。

自分の体を隅々までチェックします。足の指先から足の裏、踵、甲、足首、ふくらはぎ、脛、膝、太腿、そけい部、下腹、胸、背中、肩甲骨、肩、首筋、後頭部、顔面などなど。

力みがないか、歪みがないか。歪みの原因は力みですから、意識して緊張をほぐします。
全身をゆるめると、体が沈んでいくのがわかります。

それと同時に、それに反して、重力の線に沿ってなにかが上昇するのも感じます。
呼吸も、深く、楽に、自然なものになります。

目を開けると世界がとてもクリアに見えます。
ここまで10分もかかってしまいました。できれば座った瞬間にこうなりたいのですが。
さらに言えば、座る前から。常に。
静かに立ち上がると、先ほどまでとは立ち方歩き方が違うことが自分でもわかります。
汗もすっかり引いたようです。

 

棒を持って回します。
棒回しはとても単純な稽古です。回転も一方向だけですし、足も前進か後退しかしません。
転身もしないし、背中で回すこともない、頭上で水平に回すこともない、逆回転もしない、空中に高く放り投げてキャッチするようなこともしません。
それでも、稽古すべきことはとても多くあります。
重心は落ちているか、そけい部はゆるんでいるか、足で蹴って移動していないか、肩は沈んでいるか、肚で動いているか、肚で回せているか、上下は一致しているか、などなど。

これだけでもいつまででも稽古していたい気分です。
棒は上端下端ともに同じ形ですから、重量バランスは均しいはずです。
正確に中央を保持していれば、片方が上がるときには片方が下がり、常に重量バランスはニュートラルで均衡を保っているはずです。
それでも、棒の下がる重さを使って回転を始めます。わずかなきっかけがあれば十分です。

あとは棒が動くのに合わせて自分も動きます。
ついつい手先で加速して速くなりがちなのを、なんとか抑えながら。
小道場の端から端まで往復したり、二三歩で進退したり、同じ足を出したり引いたり。
両手で同時に持たず、片手で左右にバトンタッチしながら回すと、歪みがとてもよくわかります。
いつもは反対の手でその歪みを強制的に矯正しているだけで、これではマッチポンプです。
自分の力みで歪め、反対の力で打ち消す。最初から何もしなければいいのに。
最後に可能な範囲で最速に回して小走りに前後して、終わりにしました。
やはり休みなく10分ほどでした。いつもとくに時間を測っているわけではないのですが。
手拭いで軽く汗をぬぐいます。

 

半棒表裏
表十二本を通します。
習い始めの頃は順番を覚えられず、どうしてこの順番なのだろうかなどと考えたりもしますが、そのうち体が覚えて、意識せずとも自然に順番にできるようになります。
それでも油断していると、途中の一本をとばしたりもしますが。
ただ、業の順番や手順は正直どうでもよいように思います。
必要な場に応じて、必要な対応ができればよいだけのことで。でもそれが難しいのですが。
手先で打ち込むことのないよう、そけい部がゆるんでいるか、肚で動いているか、そればかりを意識して動きます。


終盤に、基本の一本と左右反対の業があります。これが少し苦手です。
何度か教えを受けたことがありますが、「左右反対なだけです」とだけ。
表十二本を通したあと、その業だけを繰り返しました。
なかなか上手くできないので、元の業と交互に繰り返し、自分がどう動いているのかを観察します。

上手くできる理由、上手くできない理由。
自分では上手くできているように思えるけれど、果たして本当にそれでいいのか。
この動きで正しいのか。スムーズに動いているけれど、ただの自分の癖ではないのか。
きちんと流派の掟に従った動きになっているのか。
動きのプログラムを脳に直接ダウンロードすることもできませんので、教えを思い出しながら、自分の頭と心と体の対話を繰り返すばかりです。

 

裏は、表とほとんど同じ動きで、最後が少し違うだけです。
ですが、つい表の動きが出てしまいます。なんのための稽古やら。
考えなしの惰性の稽古を反省しますが、体はなかなか思うように動いてくれません。

きちんと動いてくれない体に文句を言うと、お前の心の問題だろう、と怒られてしまいそうです。

H25.8.4