棒術、剣術、柔術、そして居合

体育館の扉を開けると、もわっとした熱気が籠っていました。

入口は開け放したままにして、外の扉も開放します。

冷たい空気が入ってきて、とても爽やか。


一人でのんびり二刀流のモップ掛けをしていると、

開け放した扉から皆さんの声と駆けて来る姿が。

こっちからも入れれば便利なんですけれどもね。

さすがにフェンスを乗り越えるわけにも行かず。

皆さん大回りして、きちんと正門からいらっしゃいました。


棒廻し

六尺棒をお持ちして、大人三人に交代でお貸しします。

一寸径なので、かなり重いです。

でも皆さん、器用に廻します。素晴らしいですね。

これも稽古の賜物でしょう。


努力は人を裏切らない。と言いますが、

想ったようになるのではなく、やったようになる。

とも言うようです(ググってもヒットしませんが。。。)。

本人がどういうつもりでも、行いに応じた結果にしかなりません。

そんなつもりではなかったのに!

それは子供の言い訳です。

きちんと、正しい努力をしなければ。

間違えた努力をすれば、間違えた結果になる。当然のことです。

正しい想いが必要なのは当然のことで、

そのうえでさらに正しい行いが必要なのかと思います。

思い通りにならないのだとしたら、

それはきっと方法が適切でないのでしょう。

因果応報、自業自得


六尺棒をきちんと廻せるのは、

いつも半棒を正しく廻しているからですよ。

というのを、いつもどおり回りくどく表現してみました。

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渋川一流柔術


半棒表立会

二人一組で組んで、三回ずつ交代で。

それから打太刀で元に立って、掛かり稽古方式で。

 

掛かり稽古では、モタモタせずにすっと交代するのも大事なことです。

そういった一見、業とは関係ないと思えるような部分にこそ、

日頃の修業/修行の成果が如実に顕れます。

常に回りをよく見て、自分で状況判断し、

なすべきときになすべきことをする。

ただ決められた手順をなぞるのとは違って、難しいことです。

真価が問われます。


せっかくの掛かり稽古ですから、並んで待っている間に

他の人の動きをよく観察しましょう。

全員が同じ動きということはありません。

あえて、画一的に強制/矯正するような稽古はしていません。

皆、どう違うのか。自分とはどう違うのか。

指導者はどう動いているのか。

よくよく観察しましょう。観て取る力は、とても大事です。

それは、常に一生懸命に意識して見ることでしか、得られません。

「見る」から、「観る」になるように。

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大石神影流剱術


陽之表よう剣

同じように二人一組で稽古してから、掛かり稽古で。

 

よう剣は、お子さん二人がピカイチです。

他の大人の追随を許しません。見習わねば。

気合い、乗る打ち、位を見る、残心。

学ぶべきところがたくさんあります。

中でも、剣の重さは特筆に値します。


外形の手順だけを小器用にこなすだけにならないよう。

よくよく稽古しましょう。

大石神影流剱術の表の一本目です。

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無双神伝英信流


大森流 初発刀、左刀

いつもどおり、一本抜いて見せてから、皆で一緒に抜きます。

何本か抜いてから、少し説明。


真っ暗闇で自分の体はまったく見えず、

鞘から放たれた刀身だけが光って見えるところを想像する。

暗闇で、光る刀身がどういう軌跡を描くか。

抜きつけが波打ったり、斬撃が稲妻になったり、

切っ先があっちにこっちに無意味に行ったり来たりしていないか。

合理的な動きをしているか。無理無駄のない動き。


この説明で、皆さん動きの質が変わりました。

以前もお伝えしたような気もするのですが。

同じ言葉を聞いても、受け取る力の問題もあります。

稽古を積んで、より得心できるようになったのかも知れません。


しばらく繰り返してから、刀身だけでなく、体も同じですよ。

とお伝えしました。

連続写真を撮ったとして、綺麗な動きになっているかどうか。

無理無駄があってはいけない。自然で合理的な動きを。

決めポーズの写真だけが達人ではいけない。

始点と終点の間も。その間も。さらにその間も。

さらにさらにその間の間も。さらにさらにさらに、、、。

どのくらい、細分化して気を配れるか。

時間と空間の細分化。


そして、刀まで自己の体と一つになること。

袴の裾まで、下げ緒の先まで、指の先まで、髪の毛の先まで。

回りの空間まで。

自己の拡大化。


相反する、細分化と拡大化を同時に。


形は正しく動いた結果です。

結果を求めるのではなく、途中の経過をこそ大事に(あれ?)

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先々週の林崎甚助重信追悼演武会のパンフレットをお渡ししました。

ポスターには無雙神傳英信流抜刀兵法の記載がありませんでしたが、

パンフレットにはきちんと記載されています。

カワゴエマスメディアのページもご覧いただけたようで、

 居合にも柔術があるのですね。小手返しのよう。

との反応をいただきました。

ので、さっそく男の子のお父さんをお相手に岩浪を。

大東流の有段者でいらっしゃいますから、受け身も大丈夫です。


右足を半歩出して、そのまま膝を着いて腰をおろして。

なんて説明をすると、普通に居合膝に座ることができました。

びっくり、すごいですね。

そこから左足を引いて抜き付けて、なんて言うと素直にできて。

でもって、そのままゴロンと。

来週から詰合も稽古しましょうか。あは


無雙神傳英信流抜刀兵法は、三つの技法で成立しています。

<素抜き抜刀術><剣術><柔術>

業は八十本弱。相手の動きも別に数えれば百十本ちょっと。

すべてお伝えできると良いですね。

ぜひ、一緒に稽古をしたいと思っています。

 

ちなみに大石神影流剱術の手数は約八十本。

相手の動きも別に数えれば約百六十本です。

剣術、二刀、小太刀、棒、長刀、鞘之内。

 

澁川一流柔術は、素手、棒、十手、分銅、鎖鎌。

数えるのも大変なくらい。。。

楽しみですね。

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今回、女の子は足をケガされて、棒と剣だけ稽古。居合は見学。

ケガをしたときは、まずは治すことに専念してもらいたく思います。

無理をして、ケガを悪化させては意味がありません。

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今回は、すっかり汗をかきました。

 

来週はGWですが、稽古は通常通りです。

ご都合があるときは、そちらを優先していただきたく思います。

無理をしては、続くものも続きません。

まずは細く長く。倦まず弛まず。


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